松山城

お正月風景&登り石垣

2011.1.3 Monday

後半(登り石垣)


県庁裏登城道を中程まで下ると右手に石垣が見えてきます

ここが前から気になっていた隠れ名所“登り石垣”なのです

そこに設置されていた観光案内板です


登り石垣とは

二之丸と本丸間の防備のため北と南に作られていたそうですが

北側は取り壊されてほとんどなし

南側はほぼ完全な形で残っているそうです

斜面を登り石垣下へ


登り石垣

南側
結構高い立派な石垣です



上へ下へと続いています
まずは上へ這い登ります


場所により形は違いますが途切れる事なく見事な石垣が続いていました


登り詰めると揚木戸門跡、大手門跡に通じる石垣に繋がっていました








最上部まで確認したので這い登った所をそのままズルズルと滑るように下って行きます
















































下方も途切れる事なく続き、二之丸史跡庭園の石垣に繋がっていました


2011.1.10撮影/追記


下ってった先は登城道から少し登った小高い場所でベンチもありました

そこには立入禁止の立て札がありました

早い話、登り石垣は立入禁止だったのです


上記写真は撮った順に並べただけなので順番になっていないかも知れません

思ったより立派な石垣群でした

このままひっそり保存した方が良いのか

もう少し整備して誰でも見られるようにした方が良いのか

難しい所ですが

いずれにしても重要文化財レベルの見事な石垣です

大切に守り続けて欲しいと思います

登り石垣とは松山市HPより)

松山城には、堀之内(三之丸)からも見ることができる「登り石垣」という、

全国的にも珍しい貴重な石垣があります。

「登り石垣」は、中国にある「万里の長城」と同じく、山腹から侵入しようとする敵を阻止する

目的のため、ふもとの館と山頂の天守を、山の斜面を登る2本の石垣で連結させたもので、

豊臣秀吉の朝鮮出兵の際、日本遠征軍の倭城築城で採られた防備手法と言われています。

水軍の将であった加藤嘉明公は、朝鮮出兵で倭城(安骨浦城)を拠点としており、

その経験から松山城築城に際しても、「登り石垣」をふもとの二之丸と標高132mの

本丸間の防備として用いたものと考えられています。

松山城の「登り石垣」は、南側の部分はほぼ完璧な形で残っていますが、

残念ながら北側は一部分しか残っていません。古図には完全な形で描かれていることから、

幕末以降に何らかの理由で、取り壊わされたものと思われます。

国内の現存12天守の城郭では、松山城のほか、彦根城だけにその存在が確認されており、

当時の東洋三国(日本・朝鮮半島・中国)の築城交流史をうかがえる重要な資料として評価されています。

(追伸:「登り石垣」そのものを登ることはできません。見るためには県庁裏登城道が適しています。)



二之丸史跡庭園前より






黒門口登城道付近



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